何があったら、「幸せ」と思える?

成功するから幸せになるのではなく、幸せだから成功する

ショーン・エイカー(アメリカの心理学者)

○○があれば、いいのに・・・
●●がなければ、いいのに・・・
○○じゃないから、幸せじゃない・・・
●●だから、幸せじゃない・・・

どうやら私は、「“無い”を探す」のに必死だったらしい。
あれが無い、これが無い。だから「幸せ」になれない。
だから、「幸せ」になるための条件をたくさん持っていた。

・人に賞賛される自分になれば、幸せになれる
・たくさんのお金があれば、幸せになれる
・素敵な彼氏がいれば、幸せになれる・・・

頑張って条件をクリアしたときは、何かが手に入ったときは、ハッピーな気分。
ああ、これでやっと幸せだって思える。

でもそれは一時的なもの。余韻はそんなに長くは続かなかった。

あれっ?やっぱり私、足りない。何も持ってない。

そこで新たな条件が追加される。一時的にでも味わったハッピーな気分を再び手に入れるため。
条件をクリアするために、必死になる。

いつまでたっても、たどり着けない。私の描いた「幸せ」に。
周りの人が羨ましくて仕方なった。
年始に届く年賀状の写真の中、笑顔でうつる友だちと家族を見ながら、
新しい年の始まりだというのに、落ち込んでいた。

どうして私は手に入れていないのか?

「成功するから幸せになるのではなく、幸せだから成功する」

この言葉はそんな私にとっては、目からウロコだった。

幸せだと感じられるからこそ、仕事も楽しいし、友人、恋人、人といて楽しい。
楽しいから頑張れる。挑戦したいと思える。
そして挑戦して、乗り越えて、新しい何かを得る。

私は未来ばかりに目を向けて、「今」という時間を意識していなかった。
今を「幸せ」と思える自分。
「無いこと探し」に明け暮れて、既にある「幸せ」の形に気づかなかった。

朝起きたら、今日一日を、どんな気持ちで過ごしたいか?
一日の終わりに、今日はどんな一日だったか?

少しの時間だけど、そう自分に問いかける時間を持ってみた。
「どう過ごしたいのか」 それは今日一日を、どう行動するかにつながる。
「どんな一日だったか」 それは、明日の自分へのアドバイスにつながる。

これまではいつもせわしなく、帰宅するなりTVをつけては、見ているような
見ていないような。
時計の針が夜12時を回るころ、(ああ、もうこんな時間だぁ)と
一日を無駄にしたような気分だった。

振り返りの時間を持ってみると、「時間」というものの存在そのものが
とても大きく感じるようになった。「命の事案」と言っていいのかな。
だからこそ、「無い、無い」と嘆いている場合じゃないんだ。
「今」という時間を大切に。

Q:今日一日をどんな気持ちで過ごしたいですか?
Q:今日はどんな一日でしたか?
Q:今日一日、どんな気持ちを一番感じていましたか

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