今日は起きたときから、何となく心が落ち着かない。
いつもと同じ時間に起床して、出かける準備をしているものの、
心は何となくイライラしてる。
前日のイライラがまだ残っていて、
出かけるのも気乗りしない。
でもね、仕事だから。
自分にそう言い聞かせながら、家を出た。
イライラしているとき、腹がたっているとき、
そんなときは決まって嫌な気分になるようなことを引き寄せる。
近くに住む人と出勤時間が合って、一緒にバスに乗り込んだ。
趣味が似通っていることもあり、バスの中で
今度はこんなところに行く予定だよ、と
次の旅の話をしていたら、バスの運転手さんにたしなめられた。
そうだよね、コロナウイルス感染防止のため、
バスの中では話をしない。
わかってるんだけど、わかってるんだけどね・・・
話しこんだ自分に対する罪悪感と、運転手さんに対する嫌な感情を抱えたまま
バスを降りた。
朝早く着いた日はいつも、最上階の喫茶室へ。
ここは誰もいないから、自分ひとりの時間を楽しめる。
昨日から引きずっている感情と、今さっき沸き上がった感情。
それらを抱えながら、9階の窓から外の景色を見ていた。
秋もすっかり終わりごろを迎え、近くの公園の木々も紅や黄から
茶色へと変化している。
そうか、今日は雨の予報。空は少し灰色がかっていた。
ふと、左の方に視線をやると、雲から太陽の光が放射状に差し込んで、
そこだけが光りを浴びているように見えた。
「天使のはしご」 学術的には「薄明光線」と言うらしい。
あの光の中に入ったら、どんな感じだろう?
きっとそんな経験はあったのだろうけど、たぶん気づいてなかっただろうなあ。
しばらく雲間から差し込む太陽の光の神々しさに見とれていたら、
ふっと気づいた。
いつの間にか、私の心が静かになっている。
ビルの前を通る高速の車の流れや、心ののざわめき。
そこから切り離された、ずっと高く、遠くにいるような。
静寂はいつもここにある。
ふとそんな言葉が湧いてきた。
日々いろんなことが起こり、それに心がざわつくことも。
私にとってはよくあること。
それでも、静寂はいつも私の中にある。
そこに気づくこと、そしてそのまま静寂にとどまること。
ここから見ると、何も起こっていない。
ただ静かな時間の中に自分がいるだけ。
静寂はいつもここにある。
窓の外を見ながら、私はしばらくこの感覚にとどまっていた。