幸せのレシピ♪

必要なのは「心配」ではなく「信頼」なのかも。

ほんと、危なっかしいくて見ていられない・・・
○○したらいいのに・・・
大丈夫だろうか・・・ひょっとして
ダメになっちゃうんじゃない?・・・
失敗しちゃうんじゃない?・・・
「あれやったの?」「これは終わったの?」
「絶対、〇〇しちゃダメ!」「ちゃんとしなさい!」
「人に迷惑かけるんじゃない!」
子どものころ、母によく心配されてた。
まあ、それだけ危なっかしい子どもだったのかもしれないけど、
何かをするたびに、毎回こんなに「心配」されると、
いや~な気持ちになってた。
(そんなこと、するわけないじゃん!!)
「はいはい」と母の心配に答えながらも、内心はこんな心の声。
わたし、そんなふうに思われてる??信頼されてないのね。
これは大人になった私が当時を振り返ったとき、
「心配」された瞬間に感じていた心の声。
もっとも、その時は”何だか、いや~な気持ち” としか
認識してないけど。
いや~な気持ちを感じてた子どもの私も
大人になると、友だちやパートナーに対して、
”母のごとく”振舞うようになった。
「絶対、〇〇したほうがいい!」「そんなことしてると△△になるよ!」
相手が「YES!」と言うまで。
みんな困っていただろう・・・笑顔の下で憤慨してたかも。
”助けたいその人”の問題を、まるで自分の問題であるかのように感じてた。
もちろん、無意識なんだけど。
何とかしてあげたい。助けたい。って気持ち、
それ自体は悪くないと思う。
だからこそ、自分が知っている手段や、自分ならこうするってこと
相手に伝えたくなる。
その人に、何とか抜け出してもらいたいから。
でも・・・
問題はその人のもの。私のものじゃない。
私がその人に変わることもできない。
その問題は、その人が自分で考え、自分で結論を出して、
自分で抜け出さなければならない。
抜け出すためには、勇気がいる。
”イヤ”と思っていても、今までずっとそこにいたからだ。
”イヤ”と思っていても、それを捨てるには、抜け出すには
強い決意と勇気がいること。
人は「克服する力」を持ってる。
乗れなかった自転車が、補助無しで乗れるようになったように。
最初は、誰かが後ろから支えてくれてたかもしれない。
でも、その手はやがて放されて自分の力で前に進めるようになってた。
手を放すこと=信頼
できる!という信頼のもとに、放される手。
だから、相手を「信頼」して、手を放すこと。
その問題は、その人にとって課題なんだ。
その人が自分を信頼し、人生を進めるための一歩を踏み出すための課題。
だから、そばにいる私たちも、見守る。
「心配」じゃなくて、「信頼」の心で。
その人の心が折れそうなとき、そばにいてあげる。
ほんの少し、手を差し伸べる。
これでいいんじゃないかな。って思う。
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